「お前が、このスーツケースを送り込んできた仕掛け人なんじゃないのか?」
誠さんの冷たい言葉が、玄関の空気を凍らせました。
私以外の5人には、過去の失くし物や大切な品が入った『箱』が届いたのに、私、葵の名前が書かれた箱だけがない。
それが、誠さんが私を疑う理由でした。
「違います! 私、本当に何も……っ」
否定する声は震え、視界が涙で滲みます。
でも、気の弱い私がこれ以上反論できないことを見透かしたように、誠さんはさらに一歩、私に詰め寄りました。
小百合さんも健人くんも、どうしていいかわからずオロオロと私たちを交互に見ています。
シェアハウスの温かい空気が、音を立てて崩れていく。
そう思った、その時でした。
「……いい加減にしてよ、誠さん!」
甲高い声が響きました。
最年少の女子高生、里奈ちゃんでした。
彼女はいつも大人びていて、冷めたような態度をとる子です。でも今の彼女は、顔を真っ赤にして誠さんを睨みつけていました。
「葵さんが、こんな意地の悪いことするわけないじゃん! 葵さんはいつも、自分のことより私たちのことばっかり気にしてるんだよ! 疑うなんて、サイテー!」
「里奈……でも、葵の箱だけないのは事実だ。誰かが裏で糸を引いて――」
「じゃあ、私が証明する!」
里奈ちゃんは、ひったくるように自分の名前が書かれた箱を手に取りました。
「私の箱に何が入ってるか見れば、相手が敵か味方かわかるでしょ!」
勢いよく蓋を開ける里奈ちゃん。
全員の視線が、その小さな箱に集まりました。
「…………えっ」
中を見た瞬間、里奈ちゃんの動きがピタリと止まりました。
強張っていた肩の力が抜け、手から箱が滑り落ちそうになります。
辰巳さんが慌てて下から支え、箱の中を覗き込みました。
「これは……住所と、電話番号……?」
箱の中に入っていたのは、一枚の古びた便箋でした。
そこに書かれていた住所を見た里奈ちゃんの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちました。
「お母さんの……字だ」
里奈ちゃんが、家庭の複雑な事情で親元を離れ、このシェアハウスに身を寄せていることは全員が知っていました。
でも、彼女が「寂しい」と口にしたことは一度もありませんでした。
「私……ずっと、強がってた。お母さんになんて会いたくないって、平気なフリしてた。でも……本当は、ずっと……会いたかった……っ」
顔を覆い、子供のように声を上げて泣き崩れる里奈ちゃん。
小百合さんがそっと寄り添い、彼女の小さな背中をさすりました。
「……そうか。これは、里奈が幼い頃に別れたお母さんの、今の連絡先なんだな」
辰巳さんが、優しく呟きました。
その光景を見ていた誠さんは、ハッとしたように自分の箱を見つめました。
そして、ゆっくりと手を伸ばし、最後の箱……『誠』と書かれた箱の蓋を開けました。
「…………っ!」
箱を開けた誠さんは、まるで雷に打たれたように硬直しました。
彼の箱に入っていたのは、分厚い原稿用紙の束でした。
端が少し焼け焦げた、古い手書きの原稿。
「……俺が、5年前に書いた小説だ」
誠さんの声は、信じられないものを見るように震えていました。
「新人賞の最終選考で落ちて……才能がないんだって絶望して、全部燃やそうとした。でも、どうしても捨てきれなくて、実家のゴミ置き場に置いて逃げたんだ。俺の一番恥ずかしくて……一番、未練があったもの……」
誠さんは原稿用紙を両手で包み込むように持ち上げ、ギュッと目を閉じました。
その目尻には、かすかに涙が光っていました。
5つの箱。
辰巳さんのレシピノート。
小百合さんの時計。
健人くんのピック。
里奈ちゃんのお母さんの連絡先。
そして、誠さんの未完成の小説。
「……俺がバカだった」
誠さんが、深く息を吐き出して言いました。
彼の顔から、いつもの皮肉めいたトゲが完全に消え去っていました。
「悪意を持った人間が、こんなものを送ってくるわけがない。俺たちのトラウマを抉るためじゃない。これは……俺たちに『もう一度、前を向け』って言ってくれてるんだ」
誰もが、誠さんの言葉に深く頷きました。
送り主は、私たちを陥れるためではなく、救うためにこの箱を送ってきたのです。
「葵」
誠さんが、私に向き直って深く頭を下げました。
「疑って悪かった。お前がこんな不器用で、優しい真似をするわけがないのにな」
「……誠さん」
「でも、本当に不思議だな。どうして葵の箱だけないんだ?」
誠さんはそう言いながら、スーツケースの中に残っていた5つの空箱を片付けようと、まとめて持ち上げました。
――カチャッ。
突然。
スーツケースの底から、硬い金属音が鳴りました。
「え?」
私たちが息を呑む中、札束が敷き詰められていたスーツケースの底板が、まるでからくり箱のように、ゆっくりと跳ね上がったのです。
「二重底……!?」
健人くんが叫びました。
箱の重みでロックがかかっていた仕掛けが、5つの箱をすべて取り出したことで外れたのです。
跳ね上がった底板の下。
隠しスペースのど真ん中に、ぽつんと、一つの木箱が置かれていました。
他の箱よりも一回り大きなその箱の蓋には。
『葵 殿』
間違いなく、私の名前が書かれていました。
「葵……お前の箱、こんなところに隠されてたぞ」
誠さんが、驚きと興奮の混じった声で言いました。
「どうして、私のだけ隠されて……」
胸の高鳴りを抑えながら、私は自分の名前が書かれた箱に手を伸ばしました。
ひんやりとした木の感触。
ゆっくりと、蓋を開けます。
中に入っていたのは、私たちが予想もしなかった、驚くべきものでした。
(第3話 終わり)

